http://www35.atwiki.jp/pugyaaaaaa/pages/1.html任期満了にともなう今日の熊本市長選挙の昼下がり、
投票所の熊本市山咲町慶特小学校で惨劇は起こった。
ここに通っていると思われる11歳の少年が投票に訪れた有権者に近付き、
「投票なんてどうでもいいから、どうせ誰に投票しても一緒なんだから僕と遊んでよ」と声をかけた後、
ナイフのような刃物で何度か刺した。
刺された男性は熊本市内に住む生きる価値の無い25歳のひきこもり糞無職。
目撃者の情報によると、刺された時に「あずにゃああん!!」と意味不明な事を叫んだらしい。
少年はすぐに係員達に押さえ込まれ「そんなカスとはいえ刺したら駄目だよ」と宥められた。
駆けつけた警官達に連れ去られ少年は共にこの場を後にした。
この「遊び」は彼にとって満足のいくものだったのだろうか。
・2010-11-07 18:42:33
マジかよ凄い事件だ。つーか全国区で報道されちゃったねこれ・・・。
こんな形で市長選挙への関心が上がるのか、こんな形で熊本への関心が上がるのか・・・。
普通に「本日、熊本市長選挙の投票日でした」じゃ誰にも関心なんてもたれないのにね・・・。なんだかなあ。
こうなるとこの少年は、熊本への関心度、熊本の知名度を上げてくれた英雄として称えられるべきだし金一封を与えるべきだよな。
っていうかこの手の事件起こした奴は表彰されるべきじゃないのか?
『世間を楽しませた』って意味でさあ。
結局人々が待ち望んでるのはこういう胸踊る事件なんだよ。
「惨劇」って表現も間違ってるよな。「喜劇」の間違いだろって。
見た人達はみんな「悲惨」なんて思わなくて「喜ぶ」んだから、馬鹿かよ。
カスがカスを1人殺して報道されたら、そのカス一人の命でどれだけの人数のカスが喜ぶ?喜んでないフリをする?って話だからな。
例えば悲しい事に、ブログで「家族と楽しく食事をしました(*⌒∇⌒*)」って報告するよりも、
「ババアの味噌汁マジでマズイwマズ過ぎて、トイレに流したよwインスタント味噌汁マジ最高w」
の方が絶対に作品としては上なんだよ。
何をもって上とするかって話なんだけど、俺が尊敬する漫画家小林よしのり(代表作:ゴーマニズム宣言)が言ってた事なんだけど、
「面白い作品は特例として規制しなくていい事にしろ。何を持って面白いとするかなんて、不合理的、感覚的に判断するしかないだろ?アホか。作品全てを同じ尺度で平等に扱おうなんてマニュアル脳のカスにはわからんのよ」らしいけど激しく同意し過ぎて次の日、腰が痛かったわ。激しくてね。
この場合そんなもん『読み手に何かを考えさせられる度合い』だろうがよ。
「人それぞれ」とか「決め付け」とか「個々の主観」とか思考と自分自身を放棄した便利な常套句に自分の思考を委ねてるロボットどもにはわからんのよ。
前者は「そうなんだ」で終わりだろ?
家族と楽しく食事したって申告されてもね。所が後者はどうか?
見た奴の感情に提供させ得るパターンの多さとしても勝ってるし、
何よりも前者は『見た事を認めやすい』けど後者は『見た事を認めたくないし認められない』って観点で考えても非常に優れていると言わざるを得ない。
何故なら「家族と一緒に楽しく食事しましたあ(*⌒∇⌒*)」に対して、『見た事を認めても』価値は下がらないし、プライドは傷付かない、こういうのを素直に認められる自分は度量が広いと錯覚さえも持てる。
つまり、『見た事を認められる程度の作品』なんだねえ。
所が「ババアの味噌汁はマズかった」に対して『見た事を認めてしまった』ら、まず『そんなもんを見て楽しんだ醜い自分』に向き合わないといけない。向き合えるはずがない。
チンケなチンケなプライドが許さない。それ以上は下がりようが無い自分の価値も下がったら困るらしい。
実際には後者の方が楽しくて楽しくて楽しくて楽しくて楽しくて仕方ないのに、
『楽しんだ自分』には絶対に向き合わない、無かった事にする。ゴミですね。
そんなゴミを抉り出せるって意味でも優れている。
あんま関係ないけど24時間テレビあっただろ?
あれに偽善って騒いでる奴に対して「偽善じゃない。素直に人の頑張りを認められる私凄い><」ってゴミも毎度いるけど、同じようなもんだよね。
っていうか「偽善」って騒いでくれる人がいないと無価値なんだよね。
「偽善じゃない、素直に他人を認められない可哀想な人たち。私は認められる凄い人(w)」って自己確認が出来ないんだからね。
「偽善」って騒いでる人達の、その偽善とかの発言を『楽しんだのは』中々認められないようでw。
チンケなチンケなプライドが邪魔するようで。
所が、障害に負けずに健気に頑張ってる人達を素直に認めるのはプライドは傷付かないようで。
どんなチンケな自尊心だよw
とは言ったものの、その「そうなんだ」に何の意味も無いとは俺は思ってないけどね。
「家族と楽しく食事しました(*⌒∇⌒*)」って申告出来る人にはある種の敬意は表しつつ・・・だからな?
そこだけは絶対に勘違いしないでくれよ。
それでも作品は作品だし、何もしてない傍観者以外は非難される謂れなんて無いとすらも思っている。
傍観者は皆殺しでいいだろって強く思うけどね。
「夕飯晒し」に代表される、つまんないけど人として普遍的、当然の事も出来ないで人として人に偉そうに言うのも何か違うと思うしね。それ出来た上で・・・だろって話だしね。
だから自分で言ったら説得力が無くなって嘘っぽいけど、本当に心が痛むよ。
『何かをしてる人』を非難(批判する程の能力はぼっくんにはありま千円;;)するってのは。
特に、その非難する対象と同程度ぐらいの事は出来てるからまあいいかなって自己正当化出来るならともかく、どう考えても自分より凄いモノ作ってる人達を非難するのはね・・・。
単なる嫉妬だからね。
とにかくそういう事だから、テレビ局はヤラセでもなんでもいいから『惨劇(実際には喜劇)』を提供しまくれよ?
そしてそんなもんを見て楽しんで、『当たり前のように見て楽しまないフリをしている』下衆な群集に向き合わせろよ。そんな醜い自分自身に。
それこそ、誰も死んでなくても『死んだように』見せろ。人々が見たいのがそれだからだ。
携帯とパソコンの画面でしか生きられないカスどもなんだから、情報源がそれだけの奴等なんだから、
画面越しに感じる人の生死の真偽なんてどうでもいい人達なんだから、とにかく悲惨な事件演出しまくれ。いやお願いします本当。
後なんだかんだ言っても、テレビでもラジオでも流されないし新聞、週刊誌にも載らない、ブログでも自己顕示しない。
けど黙々と野菜とか米とか作ってる人は確かに存在する訳だし、本当に立派だとは思うし頭下がるけどね。
元を辿れば俺がブログ業界では1000本の指(どんな化け物だよ、何本指があるんだよ)に入る程の達人になれたのも、「間違いなく20代トップクラスの書き手」って持て囃されてる(ボケてるジイちゃんから)のも、もしかしなくてもそういう人達のお陰かも知れないしね。
根底で、俺にブログを書ける身体と気力を作ってくれたのかも知れないからね、決して目立たない人達が。
もしかして、自分で米とかキャベツとかって作品作れる、作ってる人達には、勝ち目が無いのかも知れない。
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