YouTube - 2011年4月22日の夕飯(味千ラーメン)味千ラーメン熊本東バイパス店
http://www.youtube.com/watch?v=r9bUHh8Df0A●記事名:2011年4月22日の夕飯(味千ラーメン)味千ラーメン熊本東バイパス店
今日は、22日の感謝デーで、ラーメン一杯300円(普段は550円)だったから、
味千ラーメン食べたあ(´▽`)
テラ美味しかった。
来月の22日も行きたいなあ。
いつもいつも、感謝デーの日だけ行ってごめんなさい(; ̄ー ̄A
2011/04/22 19:10
カテゴリ:日記
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日記(10) 梅ジュース(3)詩・ポエム (5) 堂本剛を正気に戻す会(1)波動砲(3)
その記事を偶然見たのは、童貞でひきこもりで人生が終わっている青年だった。
「けっ、つまんねえ記事作りやがって・・・」と見下している。
ブログ界で『つまんないから絶対にしたらダメな事』とされている事象の代表格が、『夕飯晒し』だ。
次位に、景色晒し、自身のイラスト晒し、自身のポエム(詩)晒し、自身の声晒し、自身の容姿晒し・・・、
等が続く。
「つまらんつまらんつまらんつまらん。夕飯晒しとか、つまらん」
街中とかでブツブツつぶやいてる、知的障害者○ばりにつぶやく青年。
「ふふふ。だが、見てる俺はつまらなくないぜ」不敵な笑みを浮かべる青年。
「何かしたらつまんない事がバレて、何もしなかったらつまんない事はバレない」
つまり、つまらないブログを見て、コメントしない、つまり自分のつまらなさを隠しとけば、
『自分のつまんなさはバレない(と錯覚)』のだ。
少ない引き出しでコメントでもしようものなら、五十歩百歩で自分自身もつまらないくだらない存在である事がバレてしまう。
だから、「傍観してれば偉い」と思い付いた者達は、あたかも自分が神だと錯覚するのだ。
あたかも見てる自分はつまらなくない、くだらなくないと勘違いしているのだ。
だが青年が「自分自身も結局つまんない」という事実に変化は生じないという結論に辿り着くまでには、
それほど時間はかからなかった。
そう、翌日青年はその真理に気付いてしまったのだ。
何故なら彼は、確かに童貞でひきこもりで人生が終わっていたが、
『頭が悪い』わけではなかったからだ。
そして翌日。
青年は、昨日偶然見たブログをまた覗きに訪れていた。
●記事名:生きる証
ボクタチを知らしめて行くのは 時の終わり…
生まれ落ちた時に少しずつ削れて逝く
自分を動かすための そう、生命(いのち)…
現実的な言い方をするなら 電池
そんな事は気付きたくなかった
どうして気付いてしまったんだろう
「嫌だ」って心とは裏腹に
「頭」はただ 現実を受け入れている…
逃げ場なんて 何処にも無いと
傷付いて 心を捨てても
僕が…ボクタチが最終的に行く場所は
ただ、生を終える事。それだけだ。それだけだ。
逃げ場の無い、
生きる証
2011/04/23 18:38
カテゴリ:詩・ポエム
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日記(10) 梅ジュース(3) 詩・ポエム(6) 堂本剛を正気に戻す会(1) 波動砲(3)
「うわ。つっまんねえ。くっだらねえブログ」と一笑に付した青年だが、すぐに現実を直視した。
「まあ・・・見せれば勝ち、見たら負け、だけど・・・」
凡人が気付かないフリをせざるを得ない真理を述べ、自身が敗北してる現実から目を背けなかった青年。
そう、何故なら青年は・・・『バカ』ではなかったからだ。