2012年3月11日まで、
全国のTOHOシネマズ等で『堂本剛平安神宮公演2011限定特別上映 平安結祈heianyuki』が絶賛上映中である。
故に当然本日も、日本の各地ではこの映画に思いを馳せている者が数多く存在する。
だが、それなのに……、
「死にたい死にたい死にたい死にたい死にたいっ……」
今日も日本では、苦しんでいる人がいた。
もし彼の襟首を掴み当該映画館まで連れ出し、交通費、鑑賞代等を全て負担して彼にこの映画を見せたとしても、彼を救う事は不可能だろう。
「死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたいっ……」
2012年2月27日。遂に彼は死んだ。死因は不明だ。だが悲しむ人がいないのは確実だ。
もし、もし彼が……死ぬ前に、死ぬ前に、『堂本剛平安神宮公演2011限定特別上映 平安結祈heianyuki』を見ていたなら……、世界は何も変わらないし、彼自身も何も変わらないだろうが。
同じ時間、同じ劇場で当該映画を見ていた他の客達にとっては彼の存在は大いに意味があった。
何故なら「自分以外で堂本剛くんのライヴ映画を見に来てる人はいるかなあ……」とチェックするからだ。
それが愛だからだ。
1人から2人、2人から3人、という単なる数字上の問題ではなく、愛だからだ。
彼が見ていれば……彼が見ていれば……他の客たちは、「お客さんがいる」と喜び、影響を与えていたのに……。
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